大空襲から市民を守り街の復興も見届けた…照国神社の大鳥居に残る“弾痕”、80年前の戦禍を伝える

2025/06/19 17:02
復興した街を見守る照国神社の大鳥居=鹿児島市照国町
復興した街を見守る照国神社の大鳥居=鹿児島市照国町
 鹿児島市天文館地区を見守る照国神社の大鳥居は、今も戦前の姿をとどめる。神社を背にして見上げると、貫(ぬき)と呼ばれる上から2番目の横木の右側に黒っぽい点がある。太平洋戦争末期の米軍機による機銃掃射の“弾痕”で、戦争の傷跡を伝えている。

 市街地の大部分が焼け野原になった鹿児島市空襲では、多くの市民が境内に逃げ込んだと証言している。それでも、しばしば機銃掃射を受けたようで、鳥居に弾痕が複数あった。戦後、補修する際に「戦禍を伝えたい」とここだけ残し、2007年に塗り替えた際に安全上の理由から穴は埋めたが、色を変えて痕跡が分かるようにしたという。

 同神社によると、神殿は1945(昭和20)年8月6日の空襲で被災した。ご神体は、それより先に本殿裏の山の中腹に設けた「奉遷壕(ほうせんごう)」に移して難を逃れたと、壕跡に建つ記念碑に記されている。

 ほとんどの建物が焼失した中で、04(明治37)年に建てられたと伝わる神庫は本殿横で今も健在。大正時代に制作された祭神の島津斉彬像も戦中の金属回収を免れて残り、復興を遂げた市街地に目を細めているようだ。

 権禰宜(ごんねぎ)の中木屋徹さん(37)は「大鳥居の弾痕については、先輩から聞かされてきた。神社はこうしたものが残りやすい場所なので大切に伝えていきたい」と話す。

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