「引退後は東京から鹿児島を見守る」と話す尾辻秀久氏=25日、参院議員会館
参院議長や厚生労働相を歴任した尾辻秀久参院議員(84)=鹿児島選挙区=は7月28日の任期満了をもって政界を引退する。弱者に寄り添う「虫の目」に徹し、ドミニカ移民問題の解決などに尽力。6期36年間の経験を踏まえ、「温かい政治が大事だ」と語った。
-最後の通常国会が6月22日に閉幕した。
「スーツのポケットに辞表を入れ、いつでも辞める覚悟で仕事してきた。理由はともかく、最後は辞表をたたきつけて辞めると思っていた。静かに引退を迎えることができて感慨深い」
-特に印象深い仕事は。
「ドミニカ移民問題だ。厚労相になり、それまでの役職は辞めたが、(移民訴訟の原告を支援する)超党派議員連盟の会長だけは続けた。政府の一員でありながら裁判も傍聴した。それくらい思いは強かった」
-ドミニカを訪問した際、総理大臣の書簡を読まずに土下座でおわびした。
「移住者は長年にわたって労苦を余儀なくされた。とても言葉で謝って済むような問題ではなかった」
「(移住者に一時金を支給する)ドミニカ法案のほか、がん対策基本法や自殺対策基本法など、表現は大げさかもしれないが、歴史に残る法律をつくることができたのはよかった」
-怒りが原動力だった。
「私は感情的ですぐにカッとなる性格。(政府を批判するような)完全野党の質問を通告したら幹事長室に呼び出され、離党届を出したこともあった。それを青木幹雄先生(故人)なんかは大目に見てくださり、好きにやらせてもらった」
「(面倒見のいい)先輩たちは頑張っている若手をうれしそうに見守ってくれた。最近は当時のような温かさやおおらかさがなくなっている気がする。古き良き時代に学ぶこともある」
-先の大戦から80年。世界で戦禍が広がる中、戦没者遺族として何を思う。
「最初からけんか腰で、いきなり殴り合いを始めてしまっている。戦争はとにかく悲惨だ。平和だけは守らなくちゃいけない」
■ おつじ・ひでひさ
1940年10月、南さつま市出身。3歳の時に父をソロモン諸島海域で亡くした。東京大学中退。県議を2期務めた後、参院6期(比例代表4期、鹿児島選挙区2期)。財務副大臣、厚労相、参院副議長、参院議長、日本遺族会会長などを歴任。