こけむす台座 〝あるじ〟は戦争へ駆り出された――消えた乃木静子の銅像、傍らに立つ新像 戦争のリアル語り継ぐ

2025/07/04 18:07
戦争中の金属回収で供出された乃木静子銅像の台座。隣には新しく造られた銅像がある=鹿児島市新屋敷町
戦争中の金属回収で供出された乃木静子銅像の台座。隣には新しく造られた銅像がある=鹿児島市新屋敷町
 鹿児島市の甲突川左岸を歩くと、黒ずんだ石の台座が残る。こけむす上部には、かつて明治期の陸軍大将・乃木希典の妻、静子の銅像があった。1919(大正8)年に出生地であるこの場所に立てられ、太平洋戦争末期に軍事資材として供出された。

 日露戦争で息子2人を失っても毅然(きぜん)と振る舞い、明治天皇崩御を受け、夫とともに自刃した。戦時中は良妻賢母の手本とたたえられた女性も、武器を造る金属とみなされたのか。乃木静子夫人顕彰会事務局を務める船魂神社(新屋敷町)の宮田昇宮司は「当時はすでに歯止めがきかない状態にあったのだろう」と想像する。

 台座近くに2016年、新たな静子像が建てられた。残された台座の上に建てる話もあったが、同市が「歴史的な価値がある」としてそのまま残したという。初代を模した和装礼服の像は、扇を手に静かなまなざしをたたえる。宮田宮司は「先人が積み上げてきたものを壊していくのが戦争。残された台座と新しい像を比べ、戦争はしてはいけないと感じてもらえたら」と話した。

鹿児島のニュース(最新15件) >

日間ランキング >