「帰る途中のひもじさは耐えがたく、民家のヒヨコを…」日露戦争に行った祖父、日記につづった兵隊が見た現実の戦争

2025/09/07 15:00
祖父と曽祖父の写真を手にする山下弘文さん(右)と手嶋正次さん=霧島市横川
祖父と曽祖父の写真を手にする山下弘文さん(右)と手嶋正次さん=霧島市横川
 鹿児島県霧島市横川町中ノの山下弘文さん(77)が保管していた祖父・直矢さんの「日露戦役日記」を、同市牧園町宿窪田の郷土史家の手嶋正次さん(77)が解読した。1904(明治37)年5月~05年3月の従軍体験がつづられ、戦闘や日常生活の様子がつぶさに記されている。山下さんは「戦場で日々記録を取っていたことに驚いた」と話す。

 山下さんの祖父は1878年生まれで、1969(昭和44)年に亡くなった。日記は12センチ×15センチの和紙のメモ帳に書かれたもの。表紙に「明治38年10月写す」とあることから、帰国後に清書したとみられる。

 山下さんは日記の存在を知っていたものの、詳しい内容は分かっていなかった。依頼を受けた手嶋さんが1カ月ほどかけて解読し、今年5月にA4判サイズ34ページにまとめた。

 日記によると、1904年5月19日に動員命令があり、熊本第6師団に所属。7月6日に出征命令を受け、1週間ほどで中国に上陸した。

 9月18日は「帰る途中のひもじさは耐えがたく、民家のヒヨコを捕まえて焼いて食べた」。12月24日には顔の近くに敵弾が撃ち込まれ「左の耳が打ち破られたような感じがし、このときだけは死んだと思った。このときは神様のおかげで助かったと思えた」といった内容が記されている。危険と隣り合わせの中、「いろいろな歌を写し、散髪をした」「母上からの書状に返事を書いて送った」といったささやかな日常も記録する。

 手嶋さんは「戦術や戦況ではなく一人の兵隊の話。これが戦争なのか、ということがよく分かる」と語る。山下さんの曽祖父・矢八郎さんが残した西南戦争の日記も解読。山下さんは「地域の人も減っていく中、少しでも多くの人に知ってもらえたら」と話し、内容をまとめた2冊は、霧島市内の図書館に寄贈を検討している。

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