〈資料写真〉2021年6月、インタビューに答える林力さん=福岡市城南区
ハンセン病家族訴訟で原告団長を務めた林力(はやし・ちから)さんが8日午前7時12分、胃がんのため福岡市の自宅で死去した。101歳。長崎県大村市出身。葬儀・告別式は既に執り行った。
国が長年続けたハンセン病の隔離政策で、患者本人だけでなく家族も深刻な差別を受けたとして、元患者の家族が2016年、国に謝罪と損害賠償を求め熊本地裁に集団提訴した訴訟で、原告団長を担った。父は患者として鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所星塚敬愛園に収容され、自身も差別に苦しんだ。
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8日に101歳で死去したハンセン病家族訴訟原告団長の林力さんは、差別解消に生涯をささげ、穏やかな人柄で多くの人を引きつけた。長年交流があった鹿児島県内関係者からは、惜しむ声が相次いだ。
ハンセン病問題市民会議かごしま事務局長、寺本是精さん(75)=鹿児島市=は40年近く親交を重ねた。
「恥でもないことを恥とするとき、それは本当の恥となる」という林さんの言葉が心に残る。病気を隠すこと自体、恥ずかしい病と認めることになるとの指摘だ。父の病を公表した林さんならではと思い返し「体も心も大きな人だった。人権問題に精通し『巨星落つ』という衝撃」と悼んだ。
同会は林さんの著書を輪読する勉強会を毎月開いている。今後も遺志を継承していく予定だ。
星塚敬愛園の元入所者で、家族訴訟原告団顧問の竪山勲さん(76)=鹿屋市=は、林さんと約30年の付き合いがあった。「穏やかで優しい言葉の中に、熱や怒りがこもっている人。兄弟のように何でも言い合える仲だった」と振り返る。
林さんが尽力したハンセン病と部落差別という二つの人権問題に触れ、差別や偏見はなくなっていないと指摘。「本人は死ぬに死ねない気持ちを抱えていたはず。『これからも一緒に戦おう』という思い」と話した。