「顔が分かる人がしゃべっているのがいい、と反応がある」と話す住民団体代表の山下祐介さん(右)
7月に始まった「まちのラジオ」のスタジオは、仮設商店街用地に立つ小さなプレハブだった。10代から50代の農家、消防士、スーパー店員などさまざまな立場の住民が、進行や制作役を務めている。
石川県輪島市町野は2024年元日の震災に続いて、9月の奥能登豪雨と2度の被害に遭った地域だ。訪れた日の未明も、前線通過の影響で強い雨に見舞われていた。ラジオは午前3時半に、国道の冠水状況の一報を流したという。「雨には敏感になった」。運営する住民団体「町野復興プロジェクト」の山下祐介さん(39)は責任感をにじませた。
災害で皆が痛感したのは「一番知りたい、現地の情報がない」ことだった。交通や通信が断たれ混乱する中、誤情報が頻発。搬送を待つ重傷者が、不確かな伝聞を信じて勝手に移動したこともあった。正しい情報の伝達が安心や安全につながる、と着目したのが期間限定の災害FM制度だ。
山下さんらは東日本大震災後に活動した宮城県女川町の「オナガワエフエム」から機材やノウハウを引き継いだ。現在は昼間の生放送を中心に防災やインフラの復旧状況、生活情報を発信している。
数年続くと見込まれる避難生活から復興へ向けて、地域のつながりを維持する「声の伝言板」としての役目を担う。町野から離れた人もインターネットラジオでいつでも聞くことができる。
「震災後は頑張ろう能登、ってスローガンがあったけれど結構それに疲れちゃって。時には立ち止まって町外に出ています」。開局3カ月の節目の放送では、さりげない語りが耳に入ってきた。震災や豪雨の体験を振り返る仮設住宅の住民、営業再開を告げる商店主-次々と流れてくる肉声が、温かかった。
〈能登半島地震「被災地を歩いて~本紙記者ルポ」より〉