「御国」を「皇国」に…戦意高揚のため改ざん? 沖縄戦を指揮した牛島司令官の「辞世の句」、軍が書き換えか 鹿児島市の石碑にも刻まれる

2025/08/31 11:43
牛島満の生い立ちの碑。裏側に辞世の句が刻まれている=鹿児島市加治屋町
牛島満の生い立ちの碑。裏側に辞世の句が刻まれている=鹿児島市加治屋町
 先の大戦で旧日本軍の沖縄戦を指揮した牛島満司令官は、1945(昭和20)年6月の自決前に「辞世の句」を詠んだ。出身地の鹿児島市加治屋町に立つ「生い立ちの碑」に刻まれているが原文と内容が異なっている。碑文は大本営が牛島のものとして発表した句を用いたとみられ、識者は「本土決戦に向けて国民を鼓舞するために、軍中央が書き換えた」とみている。

 辞世の句は45年6月18日、牛島から参謀次長らへ送られた電報の中で、戦況報告の後に添えられていた。大本営が発表したものを、鹿児島日報(現南日本新聞)など各紙が同26、27日に報じた。沖縄国際大の吉川由紀非常勤講師(55)=沖縄戦研究=が、防衛研究所戦史研究センター所蔵の電報文を調べたところ、発表文と異なることが分かった。

 原文の句は「矢弾盡(つき)天地染めて散るとても魂還り魂還り御国護らん秋をも待たで枯れ行く島の田草は帰る御国の春を念じつつ」。碑には「矢弾尽き天地染めて散るとても 魂還り魂還りつつ皇国護らむ 秋を待たで枯れゆく島の青草は 皇国の春によみがへらなむ」と刻まれ、大本営の発表文とほぼ同じだ。

 鹿児島大「鹿児島の近現代」教育研究センターの伴野文亮特任准教授(36)=歴史学=によると、原文は「何度よみがえっても国を守り、国の戦勝と繁栄を祈念している」、碑文は「何度よみがえっても天皇の国を守り、戦いにたおれた者たちも繁栄する天皇の国によみがえってほしい」となる。碑文からは、戦意を高揚させようとする狙いが伝わるという。

 碑は甲突川左岸緑地にあり、金丸三郎元知事らが期成会をつくって募金を集め、80年6月23日に完成。81年に市へ寄付された。所管する市観光振興課は「碑文を変えることは簡単にはできない」とする。

 大本営による書き換えを調査した吉川氏は、句だけでなく、絶望的な沖縄の戦況なども伏せて発表されたことを踏まえ「いかに大本営が国民の犠牲をいとわず、本土決戦をやる気だったかが伝わる。本土でも地上戦が起こり得たことを忘れるべきではない」と話した。

 辞世の句を巡っては、陸上自衛隊第15旅団(那覇市)がホームページ上に掲載したことで注目された。

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