崎向幸和さん
■震洋隊有田部隊の慰霊を続ける
崎向幸和さん=鹿児島県南さつま市
太平洋戦争末期、米軍の九州南部進攻に備え震洋隊が各地に配備された。震洋は爆薬を積んで敵艦へ突っ込む水上特攻艇。南さつま市笠沙町片浦の崎ノ山には有田部隊が駐留した。出撃はなく終戦を迎えたが、4日後の8月19日、信管を抜き取る作業中の暴発で8人が亡くなった。「戦争の終結が遅ければ九州も焦土となっていたかもしれない。忘れてはいけない歴史」。慰霊を始めて半世紀を超える。
終戦の年、地元の国民学校の2年生だった。近くの湾内に緑色のボートが停泊しており、友達とよく遊びに行った。「兵隊から乾パンをもらった」ぐらいの思い出しかなく、このボートが震洋艇とは知らなかった。
旧笠沙町役場に勤めていた1967年、有田部隊の元整備兵が訪ねてきた。8人を悼む「無名戦士の墓」を崎ノ山に建てたいと申し出て、1人で供養を始めた。建立に立ち会って、初めて地元の悲しい歴史を胸に刻んだ。有田部隊元部隊長の故有田牧夫さんら元隊員とも知り合い、81年に慰霊碑が建立された。
記憶を継承する「有田部隊の会」代表を務め、ずっと慰霊祭に関わってきた。94年の五十回忌を節目に取りやめた後は、町の戦没者慰霊祭と合同で開催し、05年の市町村合併まで続いた。
その後も命日は個人で崎ノ山へ向かった。平和学習をきっかけに8年前再開した慰霊祭は高齢化で昨年終えたが、今年も有志で碑に手を合わせた。「元気な限りやめない」。若い世代へ語り継ぐ活動もしている。夫婦2人暮らし。85歳。