稲盛和夫氏
京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)の再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さんが24日午前8時25分、老衰のため、京都市内の自宅で死去した。90歳だった。
戦後の日本経済をけん引した「経営の神様」は、生まれ育った鹿児島の発展を願い私財を投じていた。生前、稲盛さんが南日本新聞に語った熱い思いを公開する。(2015年7月20、21日付「荒野を行け-稲盛和夫・京セラ名誉会長の提言」 年齢・肩書き等は当時のまま)
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鹿児島市出身で京セラ名誉会長の稲盛和夫さん(83)が6月、郷土の国際交流発展のため、鹿児島県と鹿児島市に計20億円を寄付した。ベンチャーからスタートした京セラを世界的企業に育て上げる一方で、人間としての正しさを重視して行動する人生観「京セラフィロソフィ」が、世界中で支持を集める稲盛さんに、鹿児島の若者へのメッセージ、経済や政治、教育への提言を聞いた。
―20億円を私財から寄付した。国際交流センター(仮称)建設はどういう思いからか。
「鹿児島は日本の片田舎でありながら、世界へ雄飛する進取の気性に富んだ人々が非常に多かった。現在のグローバルな世界の中で、鹿児島の子どもたちが、世界に飛び立つための支援がしたい。歴史的にも(宣教師)ザビエルが来たり、海外に開かれていた」
「(センターでは)まずアジアの人たちとの交流が念頭にある。各国の人と交流するだけで視野が広がり、世界を肌で感じられる。世界的に日本に対する認識が、いいイメージに変わってきている。おもてなしの精神、思いやりなどの人間性を日本に来た人にも知ってもらいたい」
―出身の鹿児島大学には、稲盛会館、稲盛アカデミーなども寄付している。
「鹿児島大学は決して有名大学ではない。それだけに際立った研究開発、また優れた業績を残してほしい。私が大学に入ったのは戦後すぐの1951(昭和26)年。新制大学で、大学とは名ばかりだった。校舎は伊敷の旧陸軍練兵場に残っていた兵舎。施設は大変悪かったが、一生懸命勉強した。その後社会に出てファインセラミックスの研究などで、京セラの礎を築くことができた。鹿児島大学が立派になってほしい思いは人一倍持っている」
―鹿児島の若者、学生へ。
「大学卒業後に就職したのは、給料を遅配するような京都の焼物会社だった。そういう環境でも、一途に新しい研究に没頭した。人がやった道を歩くのではなくて、独自に新しい研究を始めた。参考資料も乏しい中での独学だった」(その後退社し、京セラ創業)
「教職員をはじめ、学生諸君も、自分が志している研究や仕事に、一心不乱に取り組んでほしい。有名校でなくても、社会に出てからも、恵まれた環境ではなくても、自分の思うことに精魂込めて努力すれば必ず実ると信じている。私自身がやってきた。きれいなお花畑(いわゆる『いい会社』)に目を奪われないで、荒野であろうとも、自分の信ずる道に努力をすれば、必ず道は開ける。そういう生き方をしてほしい」
―1969年建設の川内工場など鹿児島の3工場は、地域振興に役割を果たしている。
「若いころに、ドイツで有名な(光学機器メーカー)カールツァイスの工場を見た。閑静な田舎町に立派な建物があり、レンズや精密なメカを製造していた。産業の基礎はすごいと感じた」
「川内工場は当時の(金丸三郎)鹿児島県知事に『産業がないので、ぜひ工場を』と頼まれてつくった。先日、十数年ぶりに訪問すると、当時の面影はなく、見違えるほど立派になっていた。特に(金属などを削る)切削工具の工場を見たが、全自動の重機械がずらりと並び、炉も非常に高温で近代的。鹿児島の田舎に、世界に誇れる精密重工業の工場があり、何千名という社員が働いている姿を見て、日本の産業の底力だと思った」
―鹿児島では他社の工場撤退が続いた。
「多くの大手企業の地方工場が失敗した。海外に移すなど、どんどん地方工場をやめた。それは労働力確保のためにつくっただけで、工場運営を通した町の発展や住民の雇用を守って日本の産業の基礎づくりをしようとの考えがなかったからだ。国の将来を考えれば、地方にこそ世界に誇れる工場が必要だ」
―鹿児島の地方創生には、どのような可能性があるか。
「地場に大きな産業がなく、地元の資産を生かした振興しかない。焼酎産業のほか、農産品でもすばらしいものが生まれている」
―農業と観光に力を入れている。
「もっと伸ばせる。ヨーロッパ、中国、米国を含め、加工品も輸出できる。自信を持って輸出すべきだ。環太平洋連携協定(TPP)は大きな貿易の自由化で、チャンスだと捉えられる。問題もあるが、(TPPが締結されれば)積極的に海外に打って出るべきだ」
―鹿児島の企業、経営者に必要なものは。
「私も最初は、開発したエレクトロニクス用のファインセラミックスを日本の電機メーカーに供給した。しかしもっと先を行っているのが米国の電機産業だった。サンプルを風呂敷に包み、何も分からず、米国の大メーカーを一社一社訪ね歩き、IBMなどからの受注につながった。そういう努力を続ければ必ず道が開けていく」
「世界に打って出ようという強い思いが、経営者に必要だ。例えば、焼酎を世界の飲み物にしたいと思うならば、商社を通じてだけでなく、メーカー自らが海外の酒問屋やレストランを一軒一軒回ってでも売っていく努力が必要ではないか」
■稲盛会館・稲盛アカデミー 稲盛さんが鹿児島大学に寄贈した施設。会館は工学部創立50周年を記念して1994年に建てられたホールで、建築家安藤忠雄さん設計(工事費約10億円)。アカデミーは2008年、前身の稲盛経営技術アカデミーを発展させる形で設立。進取の精神を育み「人間力育成」を目指す講座などが開講し、市民向けの経営哲学プログラムもある。
■鹿児島県内の京セラ関連施設 川内、国分、隼人の3工場が置かれている。京都に移っていた女子陸上部も昨年、14年ぶりに霧島市に拠点を戻した。グループ会社のホテルやゴルフ場を含め、鹿児島県内の従業員数は約9200人(パート含む)。