旧阿久根小校舎の前で、父横峯勉さんの遺影を持つ均さん=出水市高尾野
終戦後、鹿児島県阿久根市の阿久根小学校舎として使われた木造の建物の一部が、出水市高尾野の農業横峯均さん(73)の所有地に残っている。約50年前に解体される際、父親の勉さん(享年81)が木材などを譲り受け、自身の畑に再現した。建物は旧海軍出水航空基地から同校に移築された兵舎だった可能性がある。
高さ約9メートルの2階建てで、1階と2階に計4教室を設ける。外壁を覆うトタン板は勉さんが取り付けたとみられる。2階には板張りの廊下や教室の窓枠、階段の中央線が残り、昭和の学びやの面影を伝える。
同校沿革史などによると、戦前の校舎は1945(昭和20)年8月12日の空襲で焼失。分散授業を続ける中、47年4月に出水基地から兵舎の移築が始まった。
沿革史には73年度に「旧木造校舎を解体、4教室を残し」と記される。移築された兵舎と旧木造校舎が同一という記述はないが、勉さんは横峯さんに「校舎は基地から移された。兵舎造りにも参加した」と話していたという。
解体当時、勉さんは「校舎の一部を畑に持ってくる」と家族に告げ、ばらされた木材を何日もかけてトラックで搬入。大工の見習い経験を生かし、校舎を建て直した。
横峯さんも回収作業に同行。「父の行動には驚いたが、思い入れのある建物を何とかしたかったのだろう」と推し量る。
勉さんは2階の教室の一つを居間に改築し、2001年に亡くなるまで住み続けた。横峯さんは「父が残した歴史の詰まった建物。今後、子どもが集まって交流できるような施設に整備できれば」と話している。