中日再建へ「昇竜」託された井上一樹さん、甲子園目指し寝食をともにした同級生が明かす素顔「偉ぶらない」「人との接し方上手」

2024/10/09 18:03
〈資料写真〉1999年11月、プロ野球セ・リーグの東西対抗試合で鹿児島市を訪れた中日の井上一樹選手(左)と福留孝介選手
〈資料写真〉1999年11月、プロ野球セ・リーグの東西対抗試合で鹿児島市を訪れた中日の井上一樹選手(左)と福留孝介選手
 プロ野球・中日の井上一樹2軍監督(鹿児島県霧島市溝辺出身、鹿児島商高卒)が8日、1軍監督を引き受けることを明らかにした。現12球団の歴代1軍監督で県内高校出身者は初めて。宮崎県日南市で取材に応じた井上監督は「1軍監督を受ける責任の重さを感じつつ、自分らしくやっていければいい」と話した。鹿商高時代の同級生や地元からは、喜びと期待の声が聞かれた。

 井上監督は、陵南中から鹿商高に進学し、投手兼外野手として甲子園を経験。1990年にプロ入りし、投手から野手へ転向した。

 鹿児島中央高野球部監督の末永広樹さん(53)は、鹿商高時代の同級生で、塩瀬重輝監督=当時=の家で共に生活した。2年時には、末永さんが一塁手、井上監督が右翼手として夏の甲子園に出場した。末永さんは「話が面白く、時には厳しいことも言える。人との接し方が上手で、そういった人柄が評価されているのだろう」と期待する。

 同級生で国分中央高野球部長の松下幸男さん(52)は「高校時代は、ずぬけた存在だったが、決して偉ぶることがなかった」と振り返る。「当時から人望も厚く、プロに行ってからも評価されてきた。誇らしいこと」と話した。

 井上監督が所属していた陵南ソフトボールスポーツ少年団で監督を務める末重公司さん(51)=霧島市溝辺=は小中学校の2年後輩。「プロになるだけでもすごいのに、監督にまでなるなんて」と驚く。現在団員は6人と少ないが「現役時代を知らない子どもたちも誇りに思ってくれるはず。チームが活気づく」と喜んだ。

◇県ゆかりの監督に高田、西村氏ら

 鹿児島県関係のプロ野球1軍監督としては、県生まれで大阪出身の高田繁さん(1985~88年に日本ハム、2008~10年にヤクルト)や、国鉄鹿児島鉄道管理局を経由してプロ入りした宮崎県出身の西村徳文さん(10~12年に千葉ロッテ、19~20年にオリックス)らがいる。

 正式な監督ではないが、85年に西武で1軍コーチを務めた現・姶良市出身の黒江透修さん(鹿児島高卒)が痛風のため欠場した広岡達朗監督の代行として一時指揮を執り、リーグ優勝を果たした。横浜でも02年に監督代行を務めた。

 黒江さんは、井上さんの恩師の塩瀬重輝元鹿商高監督と小学校時代の同級生と不思議な縁がある。運命に導かれ、井上新監督が誕生する。

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