2019年10月、後援会「薩輝会」が主催するチャリティーゴルフコンペのため帰郷した際、インタビューに答える西郷輝彦さん=鹿児島市
好きなんだけど 離れてるのさ―。「星のフラメンコ」などのヒット曲で知られ、20日死去した歌手・俳優の西郷輝彦さん。チャリティーゴルフの収益金を故郷・鹿児島の児童福祉施設に寄付するなど、地元のために尽くした。「心優しい人」「憧れ」。訃報に接した関係者は21日、昭和の芸能史に足跡を残した鹿児島生まれの星をしのんだ。
2003年に発足した後援会「薩輝(さつき)会」の伊牟田均会長(73)は、家族ぐるみで親交があった。がん治療で赴いたオーストラリアから帰国後も、メールで連絡を取っていたという。伊牟田さんは「威張ったところがない人。病を克服して鹿児島のため一緒に活動してほしかった。無念だ」と肩を落とした。
「薩輝会」は毎年チャリティーゴルフ大会を開き、収益金を寄付してきた。19年に西郷さんから目録を手渡された鹿児島自然学園の森満稔園長(64)は「体調は悪そうだったが気丈にふるまっていた。子どものために、という姿勢はまさにスターだった」と話す。
母校愛も強かった。鹿児島商業高校が07年に選抜高校野球大会への出場が決まった際、真っ先に寄付した。スケジュールが合わず同窓会出席はできなかったが、「鹿児島弁を話す気さくな先輩。一度来てほしかった」と同校同窓会の鳥井ケ原昭人会長(72)。
地元での人気は終生変わらなかった。「鹿児島市ふるさと大使」に任命した森博幸前市長(72)も、人柄に魅了された一人。「憧れの人で初対面は緊張したが、人なつっこい笑顔で接してくれた。魅力的な兄貴分だった」と懐かしむ。
西郷さん、橋幸夫さん、舟木一夫さんの「ご三家」がそろった01年5月の鹿児島公演は、同年12月に異例の再演となった。主催した鹿児島音協の満塩正事務局長(65)は「チケットはすぐ完売で人気を実感した」。鹿児島市出身で俳優の西田聖志郎さん(66)は、小学生のとき西郷さんを見て芸能界を目指した。「亡くなったのは受け入れがたいが、私の中では永遠の憧れ」と惜しんだ。