終戦間際、蒸気機関車は米軍機の機銃掃射に遭った。車掌と学生3人の計4人が犠牲。廃線の駅跡には当時の石造りの給水塔。被災した機関車の運転席右側には銃撃痕とみられる穴が残る

2022/08/15 12:48
旧南薩鉄道・上日置駅跡に残る給水塔=日置市日吉町日置
旧南薩鉄道・上日置駅跡に残る給水塔=日置市日吉町日置
〈戦後77年 戦争遺跡を歩く〉旧南薩鉄道・上日置駅跡=鹿児島県日置市

 鹿児島県の南薩地区には太平洋戦争時、さまざまな軍事施設が造られた。南の海を望む丘には戦没者を慰霊する場所もある。戦後77年、各地に残る戦争遺跡や遺物は当時の現実を今に伝えている。

 日置市日吉町日置の住吉地区に旧南薩鉄道の上日置駅跡があり、ホームの端には石造りの給水塔が立つ。当時の蒸気機関車は走行時に大量の水を必要としたため、駅には給水塔が設置されていた。

 1945年3月18日、給水中(停車前との説もある)の機関車が米軍機の機銃掃射に遭い、伊集院側の大田トンネルに逃げ込んだ。しかし、車掌と学生3人の計4人が亡くなった。

 この機関車は現在、南さつま市加世田の旧南薩鉄道加世田駅跡(現鹿児島交通加世田ステーション)に展示されている。運転席右側面には銃撃痕とみられる穴が開いている。

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