集落に残る勾配、かつて沖縄へ特攻した水上偵察機の引き揚げ用滑走路だった 地元の人もあまり知らない海軍古仁屋水上航空基地跡

2022/09/04 12:28
古仁屋水上航空基地跡。赤線部分が引き揚げ用滑走路とみられる=瀬戸内町手安
古仁屋水上航空基地跡。赤線部分が引き揚げ用滑走路とみられる=瀬戸内町手安
〈戦後77年 戦争遺跡を歩く〉古仁屋水上航空基地跡=鹿児島県瀬戸内町

 瀬戸内町手安の須手集落に、海軍古仁屋水上航空基地のなだらかな勾配の引き揚げ用滑走路跡が残る。東京大学医科学研究所敷地内にあり、地元でも知る人は少ない。

 米潜水艦による被害が南方航路で後を絶たず、佐世保鎮守府は1944(昭和19)年、佐世保航空隊の水上偵察機4機を古仁屋に常駐させた。哨戒・迎撃任務に当てたが戦況悪化に伴い、沖縄方面への特攻作戦に参加。町誌によると、45年3月以降、四十数機が出撃した。

 社会教育課の鼎丈太郎さんは「加計呂麻島から採石したチャート(堆積岩の一種)を敷き詰め、コンクリートで覆っていた。今後詳しく調べたい」と話す。

 山手には米軍機の攻撃から水偵機を守る掩体壕(えんたいごう)が複数あった。現在は民家が立ち並び、滑走路までの誘導路が生活道路になっている。

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