鹿児島空港一帯は、特攻作戦で使われた基地だった 当時の壕を見つけ、出撃した217人の名を刻んだ碑を建立…慰霊祭を続け24年、3年前には記念館も開設した

2022/09/19 12:25
山元正博さん
山元正博さん
■【かお】第二国分基地の特攻出撃者の慰霊を24年続ける
 山元正博さん=霧島市溝辺

 鐘が何度も打ち鳴らされ、約60人が黙とうをささげた。8月15日、霧島市溝辺の観光施設「バレルバレープラハ&GEN」であった慰霊祭。太平洋戦争末期、鹿児島空港一帯は特攻作戦で使われた海軍航空隊第二国分基地だった。跡地で慰霊祭を24年続ける。「戦争を知る世代の参列者が減っている。来年はもっと若い人にも来てほしい」

 1999年7月、施設敷地内で基地の壕(ごう)を見つけた。入り口はふさがれて木々が茂っていたが、壕から冷たい風が吹いてきた。「弔ってほしいというメッセージだ」と感じた。社員十数人と慰霊祭をすると、真っ青な空に大量の赤いトンボが乱舞するのが見えた。

 3年後、基地から出撃した217人の名を刻んだ碑を建てた。新聞への寄稿を機に、特攻の生存者や遺族が全国から訪れるようになった。出撃前夜は酒を飲んでどんちゃん騒ぎで、外に出て泣き出す人もいたと聞いた。「誰も死にたくなかったのだ。『国のために粛々と飛び立った』などと美化されているが、大うそだ」と思った。

 2019年、隊員の遺書や写真、関係者への聞き取りを元に、記念館を壕の前に設けた。「世界情勢が緊迫化する今こそ、ここで平和について考えてほしい。国が一度戦争を始めれば、国民はどうすることもできないのだから」

 毎朝5時半に記念館で祝詞をあげる。「日本が幸せであるよう祈っている」。河内源一郎商店会長。同市溝辺に妻と義母の3人暮らし。72歳。

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