土砂にのまれた母は両手を広げ力尽きた…腕の下から幼い子ども2人、一命を取り留める 30年前の悪夢は「七夕豪雨」から本格化した

2023/07/07 18:01
土石流の直撃で家が崩壊し、母と娘2人の命が奪われた現場=1993年7月7日、指宿市山川
土石流の直撃で家が崩壊し、母と娘2人の命が奪われた現場=1993年7月7日、指宿市山川
 梅雨明け間近とみられた1993年7月7日、鹿児島県内6地区で7人が土砂にのまれ亡くなった。悪夢のような風水害続きの夏が、ここから本格化した。

 「大雨で湖の対岸が崩れる光景を見てきたが、あの日からは背後の山が心配でならない」。指宿市山川の鰻地区で民宿を営む福永徳安さん(62)は当時、集落に5人いた消防団員の1人。未明の激しい雨に異常を感じ、眠れなかった。

 早朝、近くの永山正一さん=故人=と集落へ入る一本道が崩れていないか点検して戻ると、永山さん方へ上る道に岩やたんすが押し流され、川のようになっていた。「泥水ごと流れてくる人を助けると、永山さんの母だった」。すぐ上の福村勝海さん=故人=の家は壁が崩れ、屋根だけになっていた。

 瓦を剥がしていくと、梁(はり)に挟まれた福村輝子さん=当時(32)=らが見つかった。チェーンソーで梁を切って救出したが、「既に意識はなかった」と搬送した野口雄二さん(53)=現指宿消防署長=は記憶する。救助はほぼ人力。「水があふれ、救急車も近づけない。山肌に亀裂が入り、いつ2次災害が起きてもおかしくなかった」

 この土砂崩れで、輝子さんと長女りえさん=当時(11)=が犠牲に。翌日の本紙見出しは「子かばい力尽きる」「腕の下、2人生存」。両手を広げた母親ら2人にかばわれ、幼い妹弟が助けられたと報じた。

 りえさんの担任だった寺田政章教諭(57)は午前6時半ごろ、輝子さんから電話を受けた。「学校に行く準備はしているが、大雨で行かせられない」。約20分後にサイレンが聞こえ、小学校へ行くと土砂崩れが起きたと知らされた。

 この日は県内各地で災害が相次いだ。鰻地区を含め、鹿児島市、南九州市頴娃、志布志市松山、曽於市末吉、大隅で計7人が死亡。「七夕豪雨」と呼ばれた。

 母娘の葬儀があった9日は、参列した児童が次々と体調を崩すほどの晴天。鹿児島地方気象台は、九州南部の梅雨明けを発表した。

 参列した寺田教諭が「その後もずっと雨は続いた」と振り返るように、8・6水害をはじめ9月まで県内各地で風水害が相次いだ。気象台は8月末、「梅雨明けの日は特定できない」と異例の発表。七夕豪雨は1993年鹿児島風水害の序章に過ぎなかった。

■メモ
 1993年6月から9月末にかけて、鹿児島県内は各地で豪雨・台風災害が相次いだ。この年の死者・行方不明者は計121人。8・6水害では鹿児島市を中心に土砂崩れや土石流が多発した。49人が犠牲・不明になり、浸水家屋は1万戸を超えた。

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