「お父さん」などと呼びかけ、菊の花を投じる遺族=19日午前8時40分、徳之島町亀徳沖
太平洋戦争中に鹿児島県徳之島町亀徳沖で米軍の魚雷攻撃を受け沈没した輸送船「富山丸」の海上慰霊祭が19日、沈没海域であった。新型コロナウイルス禍で4年ぶりに駆け付けた遺族約30人が船上から花を手向け、海に眠る家族ら約3700人の冥福を祈った。
遺族らは18日夕、マリックスラインのフェリー「クイーンコーラルクロス」で鹿児島市の鹿児島新港を出航した。翌朝、同船は沈没海域の付近で1周旋回。一般の乗客を含め約50人が長い汽笛に合わせて甲板で黙とうした。「お父さん」「家族みんな元気だよ」と大きな声で呼びかけ、菊の花を海にささげた。
妹ら4人と参加した徳島県三好市の佐藤孝子さん(83)は「優しかった父に食べてほしい」とようかんを投じた。「ずっと会いたかった。亡くなった母の分まで思いを伝えられてよかった」と涙を浮かべた。
父を亡くし、これまで20回ほど沈没海域を訪れた鹿児島市坂元町の有村惠子さん(78)は「ここに来るといつも心が揺さぶられる。戦争は絶対に繰り返してはならない」と訴えた。
遺族らは徳之島で下船し、慰霊碑が建つ徳之島町亀徳の「なごみの岬公園」で町主催の式典に出席。高岡秀規町長らとともに献花した。垂水市出身の川南廣展さん(87)=東京都町田市=は「ウクライナの戦争などで、私たちのような遺児が増えている。遺族会として平和のためできることをしたい」と述べた。20日は瀬戸内町古仁屋で供養祭が営まれる。
富山丸は1944(昭和19)年6月29日、沖縄に向かう途中で撃沈。四国や九州で編成された旅団将兵ら約3700人が犠牲となった。