「一人でも多く生きた証しを残して、後世へ語り継いでほしい」と語る小屋敷茂さん
〈慰霊祭50年誌を編さんした鹿児島県南さつま市の万世特攻平和祈念館員・小屋敷茂=こやしき・しげる=さん〉
南さつま市の旧陸軍万世飛行場は、終戦まで4カ月しか使用されなかった。「幻の特攻基地」といわれるが、南海に散華した隊員は201人。「一人でも多く生きた証しを残して、後世へ語り継いでほしい」と願う。
加世田武田出身。特攻の歴史は小学校の遠足で万之瀬川河口の基地跡を訪ねた時、「ここに飛行場があった」と教わった記憶しかなかった。日本たばこ産業に勤務し、2005年に実家の仏壇を守るため妻子を東京の自宅に残して帰郷した。郷土史探訪に参加して、娘と同世代だった隊員の悲しい運命を知り09年、祈念館の職員に応募した。
ガイドになると限界を感じた。「ガイド資料はわずか2、3ページ。案内すると、来館者に知識の浅さを見透かされるようだった」。元隊員の数少ない著書を読みあさって遺族や生存者を探し、遺書や遺品、証言を集めた。
祈念館に子犬と遊ぶ隊員たちの出撃2時間前の写真がある。9年前、高齢の来館者が1人の顔を泣きながらなでていた。少年飛行兵の同期生だった。「戦友の無念を思って戦後を生きてきたのだろう。青春を断たれた心中に思いをはせることが平和教育になる」。ガイド資料は80ページに膨らみ、50周年を迎えた特攻慰霊祭記念誌に完結した。
遺書や遺品が見つからない隊員がまだ76人おり3人は遺影もない。コロナ禍で家族と2年間会っていないが、「遺族は高齢化しており残された時間は少ない。先にやることがある」。隊員の生きざまを求めて歩みを止めない。73歳。