父親が残した戦時中のポスターを手にする山下弘文さん=霧島市横川町中ノ
「銃後よ眞劍になれ 補給決戰 南海は血の叫び」-。霧島市横川の山下弘文さん(74)は、太平洋戦争のさなかに書かれ、銃後の心構えなどを説いたポスター3枚を保管している。父、直盛さんの手によるものだ。「どんな思いで書いたのだろうか」。約80年前の日本の状況が、日々流れてくるウクライナの戦火のニュースと重なる。
直盛さんは1989年、80歳で亡くなった。生前、弘文さんは「戦時中にポスターを書いた。欲しいと言われ、何枚もあげた。掲示板に貼られたりした」との話だけは聞いていた。
10年ほど前、自宅の押し入れ上の戸袋から3枚が出てきて、実物を初めて目にした。縦50センチ、横70センチほどの薄紙に「決戰は空だ 若人よ空の勝利者たれ 決定戰刻々迫る」「一刻を争ふ戰力の増強へ! 米英撃滅 必勝の春」と勇ましい文句を墨で手書き。戦火が上る空は赤く塗られていた。
太平洋戦争開戦は41年だった。44年に北支派遣軍に入隊し、大陸へ向かった直盛さん。終戦後、捕虜を経て46年4月、召集解除となった。ポスターには「決定戰」や「米英撃攘(げきじょう)の決戦三年目!」とあり、召集を目前に書いたとみられる。
弘文さんは「日露戦争や日中戦争に従軍した親族の負傷や戦死が続き、抗戦の思いを強めていたのか」と想像する。2015年の戦後70年には、「戦争を繰り返さない」ためにと横川の戦争体験記録集作成に奔走した。「だが、いまニュースに映るのも全く同じ光景」。無念さが募る。