おなかの子には会えぬまま父は戦没船「富山丸」で帰らぬ人に…遺児だから不戦訴える「国民は黙ってはいけない」

2023/04/21 07:50
平和の大切さを訴える中迎博美さん=19日、徳之島町亀津
平和の大切さを訴える中迎博美さん=19日、徳之島町亀津
 太平洋戦争中に米軍の攻撃を受け、徳之島沖で沈没した輸送船「富山丸」の犠牲者約3700人の供養祭が20日、当時の救助活動の拠点だった鹿児島県瀬戸内町古仁屋で営まれた。前日に徳之島町であった慰霊祭にも参加した遺族の中迎博美さん(78)=南九州市川辺=は「悲劇を経験した身として、平和の大切さを訴え続けたい」と力を込める。

 富山丸は1944(昭和19)年6月29日、沖縄に向かう途中で沈没。中迎さんの父・繁さんら将兵約3700人が犠牲となった。

 繁さんは川辺町出身で、朝鮮の工場で働いていた43年、同郷の母・フジエさんと結婚した。朝鮮で暮らして半年もたたない44年5月に召集され、翌月に富山丸で帰らぬ人となった。

 フジエさんは当時、妊娠7カ月。おなかにいたのが中迎さんだった。家族を残して出兵することは、どれほどつらかったことか。母が「素晴らしい男だった」と話すのを聞いては父の姿を想像した。

 「家の仏壇や墓で手を合わせても、そこに親父(おやじ)はいない。ここに来てやっと会える」。これまで沈没海域や慰霊塔を20回以上訪問。19日の船上慰霊祭では、涙を浮かべて海に菊の花をささげた。

 フジエさんは繁さんの死後、懸命に家庭を守った。農業を営んでいたため食べるものはあったが、幼子を抱えながら苦労が絶えなかった。

 戦後78年目となる今、政府は防衛強化を進めている。中迎さんは一定の防衛力は必要だと思っているが、関心を持たない人が多いのが気掛かりという。「黙っていると国は国民の意見を聞かずに物事を進めてしまう。戦争を起こさないために国はどうあるべきか、1人1人が考えてほしい」

◇古仁屋でも戦没者慰霊

 瀬戸内町古仁屋の森山公園で20日営まれた供養祭には、前日に徳之島町であった慰霊祭に引き続き遺族らが参加し、先祖の冥福を祈った。

 古仁屋には当時、富山丸の負傷者が多数搬送され、住民らが治療に当たった。供養祭は瀬戸内町が3年に一度開催しており、今回は新型コロナウイルス禍で4年ぶり。遺族21人のほか奥田耕三副町長ら町関係者10人が出席し、菊の花を供えた。

 鹿児島県富山丸遺族会の野元幸一会長(75)=鹿児島市東坂元2丁目=は「父が犠牲になり、残された母も計り知れないほどの苦労をした。遺族のために供養祭を開いてもらいありがたい」と感謝した。

 富山丸は1944(昭和19)年6月29日、沖縄に向かう途中の徳之島町亀徳沖で沈没。四国や九州で編成された旅団将兵ら約3700人が犠牲となった。

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