求名小学校に寄贈されてから80年たっても現役のグランドピアノ=さつま町宮之城屋地の宮之城ひまわり館
太平洋戦争真っただ中の1942年に鹿児島県さつま町求名の求名小学校(国民学校)に贈られたグランドピアノが、現在も同町宮之城屋地の宮之城ひまわり館で使われている。閉校を来春に控え、最後にもう一度学校で演奏できないか。地元住民らが方法を探っている。
郷土誌などによると、同校は42年8月の火災で校舎などが焼失。児童を励ますため、地域の婦人会が勤労動員で得た賃金や寄付を元手に、ピアノを贈った。本体側面には今も「寄贈 求名村婦人会 昭和十七年十二月八日」の文字が残る。
学校近くの桑原露子さん(88)は、寄贈時は小学2年生でよく覚えていないが、中学生の頃によく演奏したという。「当時はピアノが珍しく、こぞって童謡などを弾いていた」と懐かしむ。
いつの頃からか、塗装がはげ音の出ない鍵盤もあり学校の講堂隅で忘れ去られていた。97年に地元有志が戦禍をくぐり抜けた希少な古ピアノの修理を計画。当時、被爆ピアノの修復で知られた広島県の業者に依頼してよみがえった。
その後しばらく個人宅にあったが、2012年に「宮之城文化懇談会」が管理する名目で同館に設置。鍵盤がやや重く弾きにくさはあるものの、重厚な音色を響かせ、合唱団体の練習などに使われている。
地元では閉校行事などの席で、一時的にピアノを小学校で演奏できないかなどの話が持ち上がる。桑原さんは「母校がなくなるのは寂しいが、もう一度求名の地であの音色を聞いてみたい」と願う。求名区公民館の今東秀嗣館長(69)は「数奇な運命をたどったピアノは、求名小の歴史を語る貴重な備品。特に今の児童らに存在を知ってほしい」と話した。