米軍機とみられる機体の一部=喜界町滝川の埋蔵文化財センター
太平洋戦争末期、南方に出撃する特攻機の中継基地として本土防衛の最前線だった鹿児島県の喜界島で、米軍の戦闘機とみられる機体の一部が見つかった。喜界町は埋蔵文化財センターにこの春から展示。今後、専門家に調査を依頼し、平和教育に役立てたい考えだ。
旧日本海軍の飛行場だった喜界空港に近い同町中里集落で今年1月、畑に埋まっている状態で発見された。これまで周辺海域の海底で航空機の一部とみられる部分の目撃情報はあったが、地上で確認されるのは珍しい。不時着したか、撃墜されたかは不明という。
長さ1.6メートル、幅0.9メートルと、長さ、幅いずれも0.8メートルの二つ。オリーブがかった色の金属製で所々さび、ひしゃげて原形をとどめていない。プレートには「AIR CRAFT(航空機)」とあり、「AIR COOLER」といった文字からラジエーター部分と推測される。エンジンなど機体前方は確認できておらず、後方部分とみられる。
喜界島には1931年、海軍の不時着飛行場ができ、戦争末期は多くの特攻機が補給や整備で立ち寄った。そのため米軍の標的となり、中里集落などは空襲被害が多かった。
町内には、飛行場周辺の戦闘指揮所や掩体壕(えんたいごう)、海軍特攻艇「震洋」の格納庫など戦時を伝える歴史資源が多い。教育委員会文化財保護チームの島袋未樹(ひでき)さん(29)は「戦争遺跡とともに、児童生徒への平和教育につなげられれば」と話した。