僕は20歳から15年間実家に帰っていなかった。理由としては二つある。一つはシンプルにお金がなかった事、もう一つが現実逃避だ。
親に黙って芸人を始め、35歳までまったく売れなかった。もちろんバイト生活でお金はない。それでもお笑いライブに出演し、ライトを浴び、ネタをし、すべったりウケたりを繰り返し、芸人仲間でビール一杯100円の激安居酒屋で打ち上げする日々は最高に楽しかった。だからこそ帰りたくなかった。ズタボロの実家を見てしまうと、現実を突きつけられ、芸人を続けられるメンタルじゃなくなる気がして怖かった。
そんな実家から目をそらし続ける日々を過ごしていると、ある日兄から連絡がきた。
「サトル! 結婚する事になったがよ」
これはめでたい。「おめでとう! 良かったね!」
「でさ今度嫁があいさつでうちに来る事になったんだけど、家見せても大丈夫かな?」
確かに。あまりのボロさに天井と猫が降ってくる家という現実を、嫁さんに突きつけたら下手すりゃ気絶、即結婚破棄の可能性もある。
「うーん…心配だけど、見せるしかないんじゃない? 結婚後に見せたら新手の結婚詐欺やっど」
「だよな。わかった、見せるわ!」
兄は覚悟を決めた。後日、また連絡がきた。
「サトル! 家がすごい事になってるぞ!」
「どうしたの?」
「今あいさつで鹿屋に帰ってきてるんだけど、嫁をホテルに残して、いったん俺だけ実家に帰ったら、家がなくなっててさ、母ちゃんに聞いたら実家は住めなくなったみたいで引っ越ししてた」
衝撃の事実。ろくに親と連絡を取っていなかった僕ら兄弟は引っ越した事を知らなかった。
「で、教えてもらった新しい住所に行ったんだけど、家らしきものが全然ないのよ」
「えっ!? 何でよ?」
「でもよーく探したら、ボロボロのお菓子のウエハースみたいな壁があってさ…」
「うん…」
「壁の中に母ちゃんと父ちゃんがいたがよ」
は? 壁の中にいる?
「どういう事よ!?」
「だから壁あって、壁を開けたら壁の中にいたのよ!」
何それ? 「進撃の巨人」の話してる? しかし何度聞いても兄の答えは同じだった。
1年後、テレビに出られるようになった僕に、ロケで実家に帰る仕事が入った。15年ぶりの帰省。兄の話が真実なのか確かめるチャンスだ。
母から聞いた住所はなぜかグーグルマップに表示されず、テレビスタッフは混乱し、予定より2時間遅れで何とか実家に到着した。
マジかよ。本当に壁がある。身長173センチの僕より少し低い。触ってみると指で壁の一部を簡単に剥ぎ取ることができた。手の中でウエハースのように崩れていく。何だこれは? 地球上の物質か? 手のひらの粉々になった実家の一部を見つめていると壁が突然開き始めた。
ゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴ…ガコッ…ズズズズ…。うそだろ? この壁生きてる?
「サトルおかえり~。わっぜ久しぶりやらよ」
そこには巨人ではなく、15年前より少し背が低くなった母がいた。
「母ちゃん。何でここに住んでんの?」
「前の家がボロボロで住めなくなって、父ちゃんが作ったのよ」
大工の親父(おやじ)が、前の家よりボロい家を作った理由は不明だけど、あまりの現実に気絶しそうになる中、親孝行しようと思った。ちなみに兄は無事結婚できました。続く。