長元信男さん(8・完)/駅伝/走る姿、地域に活気呼び込む

 漁師として生きてきた私には、もう一つの生きがいがある。それは走ること。苦しくてやめたくなった時、も...

長元信男さん(7)/希望の海/「鰤王」育む環境守りたい

 2009、10年と2年続けて大規模な赤潮に見舞われた東町漁協は、組合員と職員が一丸となって再起を果...

長元信男さん(6)/赤潮襲来(下)/多くの支援受けて再起へ

 2010年夏、前年に続いて八代海に発生した大規模な赤潮で、最も被害が大きかったのが、ここ長島。それ...

長元信男さん(5)/赤潮襲来(上)/美しい海が地獄絵図に

 東町漁協は単一漁協でのブリ生産量日本一を誇る。最大の強みが養殖ブリの通年出荷。品質の安定したブリを...

長元信男さん(4)/組合長就任/汚染魚騒動の収拾に一丸

 東町漁業協同組合は1949年の創設。養殖ブリの輸出や独自ブランド「鰤〔ぶり〕王」商標登録など、新た...

長元信男さん(3)/漁師兼運転手/黒之瀬戸架橋で取引急拡大

 大阪に出て1年がたった1967(昭和42)年春、住友電気工業での研修を終えた私は、無事に定時制長島...

長元信男さん(2)/わが青春の大阪/厳しいけれど楽しい寮生活

 私の母校は定時制の長島高校東分校。4年間のうち3年はここで授業を受け、最終学年は企業で働きながら研...

長元信男さん(1)/豊かな海/少年期から漁船で働く

 この夏、18年務めた東町漁業協同組合の組合長をはじめ、ほとんどの仕事に区切りをつけた。時間ができた...

岩男秀彦さん(9=完)/「海の国道」/離島の生活航路守る誇り

 現在93歳。照国郵船再建の過程でたくさんの人や言葉に助けられた。  管財人社長になった1983年...

岩男秀彦さん(8)/離島クルーズ/片道25時間 船旅に活路探る

 奄美・沖縄航路は生活航路だけに毎日暮らしに必要な物資や車両、農産物を運んでいて、観光航路と異なりあ...

岩男秀彦さん(7)/安全第一/批判に耐え「新港残留」貫く

 県は潮流調査などを根拠に安全は確保されるとして、奄美・沖縄航路の鹿児島港本港区北ふ頭への移転を迫る...

岩男秀彦さん(6)/北ふ頭か新港か/奄美航路の集約で県と対立

 大蔵省南九州財務局長を務めた迫水久正氏(久常氏長男、後の鹿児島新報会長)を社長に迎えた時期がある。...

岩男秀彦さん(5)/合理化/外様の強み 従業員減を断行

 会社再建の前提となる人員整理に必要な3億円のうち、金融機関の融資で賄えない1億6千万円をどうするか...

岩男秀彦さん(4)/照国郵船の破綻/負債140億円 管財人代理に

 1976年2月、鹿児島では珍しくみぞれ交じりの雨が降る寒い日だった。県法曹界の重鎮で鹿児島通運の顧...

岩男秀彦さん(3)/Uターン/日本の復興「地方から支える」

 東大では法学部に進んだ。当時の教授陣はきら星のごとく優秀な人材がそろっていた。美濃部達吉の門下生で...

岩男秀彦さん(2)/東大進学/「螢雪時代」と友の存在大きく

 1949(昭和24)年に誕生した甲南高校の1期生になった。鹿児島二中に入学してからの思春期は戦中戦...

岩男秀彦さん(1)/軍国少年/敗戦で海軍士官の夢ついえる

 玉音放送は鹿児島市長田町の自宅で聞いた。雑音が混ざり聞き取りにくかったが、戦争に負けたことは分かっ...

益留福一さん(10・完)/継続は力/田舎でもやれるを誇りに

 1985年に「田舎でもやれる」との気概で会社を設立してから、オンリーワンの商品開発をこつこつと続け...

益留福一さん(9)/人材確保/外国人技術者も活躍する場

 自社独自の省力機器などを研究・開発して製品化する。そのためには、何よりも人材の確保と育成が最重要課...

益留福一さん(8)/海外戦略/創業時からの目標 着実に

 自社ブランドの機械を開発して海外に売り込む-。そんな目標を掲げ、豚の肋骨〔ろっこつ〕剥離機「ミスタ...

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